2021.8.21 8月フォーラム 「Can the Tokyo 2020 Olympics and Paralympics lead to a fairer and more inclusive society?」
Mara Burden氏
経歴
アジア系イギリス人とイタリア人を父母に持つ。英ケンブリッジ大学開発学修士号を持つ。持続可能な開発専門のフリージャーナリスト、LifeGate.com編集長、The Japan Times定期寄稿者。
内容紹介
【スピーチと質疑応答】
Mara氏のご講演では、はじめに障害を持つ人々に対する差別問題に取り組む運動We The 15の話題を挙げ、多様性についてお話し頂いた。Mara氏は、自身のDNA を引き合いに、自身にとっていかに多様性というものが当然のものであるかという説明された。しかし、人権や平等、多様性、アクセシビリティ、という言葉の意味が人それぞれにとって異なるため、議論をするうえで定義づけを行うことが重要だと述べられた。
次に障害のための法律についてご教示頂いた。2006年に採択され、2008年に施行された障害を持つ人々の権利に関する国連条約を、日本は、2014年と遅くに承認したことを挙げ、これは、国内法が条約の求める水準以下であるため、国内法の改正を先行させる必要があったためであるものの、日本の法律が人権としてのアクセシビリティに関して未だに言及がないということを強調した。障害を持つ人々の一般的な権利についての最終的な目標は、社会におけるすべての人が他者と対等でいられる効果的な参加を促進するということであるとして、ここでアクセシビリティが、年齢、障害に関わらず、すべての人々が障害なく社会的なインフラや施設、備品、製品、サービスを利用できることだとお伺いした。
また、Tokyo2020アクセシビリティ・ガイドラインの引用を通して、東京の国立競技場などの大会のためのユニバーサルデザインといった整備がその大会のためだけでなく、地域のスポーツ施設にもそのデザインが伝わるかということや、交通機関が例として挙げられていたが、オリンピック・パラリンピックバブルでなくとも、誰もが利用できるようにするための変化に、本当に変化させる力があるかということなど社会的背景に注目すべき点があることを述べていた。
さらに、大日方邦子さんの例を挙げ、パラリンピックが開催されると人々の障害に対する考え方がどのように変わるかということやその重要性についてご教示いただき、それに関連して、有形と無形の障壁が社会にあり、それゆえ表に見えていない部分まで見るということが重要であると述べられた。
質疑応答の時間では、「パラリンピックが健常者主義やエリート主義を醸し出さないようにするために重要なこと」、や「同じスポーツイベントにせず、パラリンピックとオリンピックに分ける理由」、「障害を持つ人々に対しての接し方」など、社会規模、個人規模の観点から障害を持つ人々に対しての考え方について考察する質疑応答が行われた。
【グループ討論と全体討論】
討論テーマは、「東京2020パラリンピックが日本や世界的に障害に対する考え方を変えることに貢献するか。また、東京やその先で誰もがインフラを利用できるように改良するという点における遺産は何か。」であった。パラリンピックがまだ始まっていないため、判断が難しいという意見やパラリンピックについての報道がCOVID19の影響を受けて否定的な印象を強めてしまう恐れがある一方で、メディアと個人レベルでの情報発信を組み合わせて、パラリンピック選手のメッセージを伝えることもできるなどの意見がでた。Mara氏からの講評の中で、全体討論の中で、メディアによる報道があまり良い役割を果たせていないという意見が出ていたこともあり、それを認める一方で、メディアの担う役割の重さに加えて、SNSの情報が一気に拡散する性質の危険性についても触れられたため、障害に関しての情報の扱い方についても考えさせられた。
【全体私感】
今回のフォーラムを通して、障害に対する考え方の実態を痛感した。というのも自分自身も障害に対して、心のどこかで、目を背けてしまっていたためだ。自分の以前の考え方と同じようなことがパラリンピックに出場する前の大日方邦子さんの周囲の考え方にもあったのだろうと思う。また、Mara氏がフォーラム内でも触れられていましたが、今回の議論をしている中に障害を持つ方がいらっしゃらないため、本当に障害を持つ方のための議論ができているのかということは確かに実際のところわからないと思った。それ故に、障害について考える上で、障害を持つ方の意見を聞くことの重要さを再確認できた。
(東京理科大学工学部2年 川口 隆人)