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2020.09.24. 温故知新シリーズ 第1回 『政治の世界に学ぶ温故知新』

内容紹介

KIPの新シリーズである「温故知新」が始まりました。このプログラムでは私たち日本人の慣習を改めて問い直し、討論を通してそのルーツを探っていく試みです。今回は「政治の世界に学ぶ」と題し、アラムナイ大崎氏の関心事、安倍首相辞任会見でも垣間見られた日本の「予定調和的な記者会見」をその話題の皮切りに、日本の政治の世界における不思議な習慣について紹介しあい、その起源や意図を多角的な視点を持って考察していきました。

大崎氏はそもそも政治とは、”politics”という語が明治期に輸入され翻訳された語であり、政(まつりごと)を治める・平らかにするという意味を含んでいる、”politics”本来の意味よりも、訳語である「政治」の理念が日本の政治における基本行動原理になっているのではないか、そしてそれが「根回し」「派閥」「予定調和的な記者会見」に表れているのではないかという問題提起をされました。興味深かったのは、日本に固有な「侘び寂び」という概念も英訳すると”the beauty of imperfection” 「不完全さの美」となり、例えば満月を完璧なものとして愛でる中国に対し、十六夜という中途半端な状態を不完全である故の美、移ろいゆくものの美として愛でる日本人のメンタリティにこの感覚は根付いていると指摘されたことでした。

「根回し」「派閥」「予定調和的な記者会見」などこうした政治の慣習の起源について自由討論という形で話し合いが進み、まずはやはり政治や民主主義といった概念は日本人が勝ち取ったものではなく、輸入されたものであることに諸々の原因があるのではないかという意見が多く出されました。こうした背景を鑑みれば、日本人が政治に無関心であることにも頷けます。実際、政治闘争として有名な60年代の安保闘争経験者の中には、運動の当初は政治を問題視したわけではなく、あくまで授業料が払えないという自分達の問題を訴えたことが出発点だったと語っていたという例も出されました。明治維新の実態を見てみても、国の上位の一部が事を起こし、そのまま新政府の要職に就いたのであって、決して革命とは言えないという指摘もなされました。しかしながら国をまとめ集団の和を保とうとした結果、日本なりの形の政治形態が完成したとも受け取れ、全てを批判的に見る必要はないとも言えると思います。

こうした日本の民主主義や政治の形態を、宗教的なルーツを用いて説明する試みもなされましたが、民主主義が発生した欧州が一神教である一方、日本が多神教であるという事実からのみでは言えることは少ないと、ここでは結論付けられました。ただ、各時代で宗教を用いた政治の権威付けは行われ続けており、その影響は今後も想定する必要があるという意見もありました。

討論の後半では、他の慣習と政治との関連にも目が向けられ、「日本は政教分離の原則に則っているのか」という問題提起がされたり、日常の上座・下座の慣習についても討論が続けられました。目上を敬うという儒教的な文化は韓国にも色濃く残っているものの、これは儒教のみが原因なのではなく、社会集団に溶け込むためのある種のイニシエーションなのではないか、という視点が新たに出されました。 更に禊についても政治との関連が指摘されました。禊は神道の概念で、リニューに近いでしょう。一度禊を立てれば、即ち罪を悔い改めればやり直せるという考え方は、日本における謝罪の役割を拡大し、また政治家の再起を容易にしてきたと言えそうです。

今回の討論を通し、日常生活の中の違和感をやり過ごさず、それに対し仮説を立て、検証する、という思考を続けていくことの重要性に改めて気づかされました。また知日派になる、とは日本についての知識をアップデートし続けることと同時に、自分を形作ってきた環境に対し向き合い続けることだと言えるでしょう。今後の温故知新シリーズでは日本への理解を深めるとともに、自分が知らず知らずのうちに影響されていた価値観を発見することで、更なる内省を試みたいと思います。

(東京外国語大学大学国際社会学部2年 柴 千織)

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