2011.11.1開催「私の見た戦前・戦中・戦後」
緒方四十郎氏 元日本銀行理事・(社)KIP理事
今回のForumでは、太平洋戦争前後の日本の社会状況を自身の目で見つめてこられた緒方四十郎氏にお話いただきました。自らの体験談を中心に当時の世の中の様子や政治情勢について、また更には今を生きる我々が抱えている問題についての鋭い指摘などをお聞きすることができました。
緒方氏講演の概要
1920年~1930年頃にかけては対米関係も比較的おだやかであり米国の製品や文化の流入もありましたが、1931年の満州事変以後、二二六事件、盧溝橋事件などが引き続いて起こり、次第に雲行きは物騒になっていきました。真珠湾攻撃によりついに米国と戦争状態に突入した後、配給制、勤労動員など生活には大きな変化があり、緒方氏の兄や従兄弟も召集を受けたそうです。その後、日本軍はミッドウェー海戦、ガダルカナル島での敗退をみ(これらの情報は国民に知らされることはなかった)、敗戦の色が濃くなってゆきました。1944年7月サイパン島を米軍が占拠、B29による日本本島の空襲が始まることとなり、その1年後に日本はポツダム宣言を受諾、戦争は終わります。戦後、米軍の進駐、ヤミ市の横行、財閥解体、軍事裁判、特需による経済復興など様々な社会の動きを経験し、緒方氏は日本銀行に入行されます。国際人になりたいとの思いから留学をされ、その後の国際化の中で大きな役割を担われることとなりました。
質疑応答では、「原発事故後のマスメディアの宗旨替えは戦後のそれ(戦争を支持していたメディアが戦後は一貫して平和主義だったかのように装った)と酷似している。戦時中は厳しい言論統制があったためやむをえない部分もあったが、現在のメディアはあまりに付和雷同に過ぎるのではないか」「日本社会には、平等社会志向と呼ぶべきものがある。社会保障などの面で言えばそれは素晴らしいものだが、時にそれが”悪平等”志向となってしまうことがある。それが個人の意見を認めない体制主義、事なかれ主義を生み出したし、教育においても『落第させない教育』が重視され『できる子を伸ばす』ことは置き去りにされるという状況を作り出した。経済格差の縮小は無論重要な課題だが、知的な領域においてはむしろ個人主義を大事にして欲しい」などなど、質問に関連して多くのご指摘やアドバイスを頂きました。
特に、原発事故に関連したお話は身近な話題であり、戦後の日本が今まで引きずってきた病理を垣間見たような思いでした。個人の力で社会の流れに抗することは難しいが、だからといって諦観してはならない。これからを生きる我々の課題だと感じました。
緒方様、このたびは貴重なお話本当にありがとうございました。(遠藤 彰)